それはまず、無礼でないこと。そして、社会的にあり得ない間違いをしてもそれを間違いと感じない人とは一緒に仕事をしない。
昨日も日活という映画会社から映画の企画協力を申し込まれたが、宛名が「カメラマン 浅井久二臣様」。私は「カメラマン」でも「久二臣」でもない。写真も撮るジャーナリストだ。写真展を開いて写真集を出したり、グラフ雑誌(昔はアサヒグラフ、毎日グラフなど良いものがありました)の特集で作品を発表したことがあるが、あくまでも写真撮影に関してはシロート同然だ。カメラマンを名乗ったらカメラマンに申し訳ない。逆に、カメラマンで「僕達ジャーナリストは」と言う人がいるが、勉強不足だ、これも間違いである。
相手の名前に関しても、弟子や生徒には相手に失礼がないよう厳しく何度もチェックするよう指導している。それは、相手に対してとても失礼なことだからだ。私の名前の「仁」は、天皇裕仁に由来するので、どうでも良いと言ってしまえばそれで終わりだが、失礼であることに変わりは無い。
間違いを指摘された相手の態度にもよる。心の底から深謝してくれば、その程度のことだ、許さないわけではない。ところが最近の傾向だろうか。そのまま「そうですか。すみませんでした」程度の謝罪の言葉を残して電話を切る人が多い。今日もそうだった。
今、社会の中心を形成しようとしている3,40代の人の多くは、この辺りの感覚をつかむのがとても苦手なようで、話しても心の底から納得してもらうまでには相当な時間がかかる。親からの基本的な躾がなされていないのが一番の原因だが、恐らくその内彼らの考え方が主流になってしまうのだろう。


