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ロッキード事件の終焉

 かつて、米大手航空機製造会社ロッキード社の副社長を務め、日本の政界との間で繰り広げられた「ロッキード事件」の主人公の一人であったコーチャン氏が14日に他界していたことが、この度明らかになった。

 彼は76年2月、米上院外交委員会の小委員会で自分が知りえた仕事上の事実を語るという衝撃的な証言を行なった。当時AP通信社アジア総局の記者であった私は、深夜勤務をしていて、その記事を読み仰天した。議会証言でコーチャン氏が、日本への航空機売り込み工作の全容を事細かく明らかにしたからだ。

 ジャパン・デスクという、ニューヨーク本社から日本に送られてくるニュースを最初に受け取る担当であった私は、この証言がやがて日本の政界を揺るがすことは間違いないと直感、「泊まりデスク」のブラウン記者とその後の取材方針を話し合った。ニュースを流した直後から契約(日本のメディア)各社は先を競って、続報はないかと問い合わせてきた。

 それもそのはずである。証言の中に、多くの有力政治家や大物右翼の関与が示唆されていたからだ。

 翌朝出勤してきたワイト(White)編集長に、私は「ロッキード番担当」を申し出て受け入れられた。

 それから半年、私の日常はロッキード事件の取材にほぼ奪われた。日本の検察当局が、本気になって異例の元首相、それも歴代でも最も実力があるとされた田中角栄氏に縄をかけようと動いたからである。

 検察当局は、APの報道をきっかけにこれまでには見られないほどの精力的な動きに出て、アメリカにまで足を運んでコーチャン氏に「刑事免責」を約束して事件の詳細を聞きだした。

 そしてその年の夏、田中氏はついに「塀の中に落ちた」。前々年の金脈問題で首相を辞任しても司直の手にかかる事はなかった元首相が、逮捕されたのだ。

 私は今だから言うが、当時の東京地検の豊島次席検事に喰らいついていた。私の情報源としたのだ。だが、それが司法記者クラブの知れるところとなり、彼らの悪質な嫉妬を誘い、やがて豊島さんは私を遠ざけるようになった。

 私はこの事件に多くの釈然としないものを感じていた。その一つが、コーチャン氏が証言に踏み切った理由である。これからもロッキード社にとっては付き合いが続くであろう、政界の実力者や右翼の大立者をあえて“裏切って”まで何故に証言したのか。ロッキード事件にニクソン大統領がどう関わっていたのか。私は、コーチャン氏を含む関係者に現地取材したいと、ワイト編集長に申請したが、「通信社の報道範囲を逸脱する」と断られてしまった。ただ、それは表向きの理由で、本音としては、「縄張りを荒らす」ことを嫌う社風があったからだ。

 そこで、現地取材に出かける知り合いの日本人記者にその辺りの取材をして欲しいと頼んだが、誰一人として成功する者はいなかった。

 そして、それらの真相は明らかにされることなく、またその辺りの事情を誰に話すでもなく、コーチャン氏は他界してしまった。

 その訃報記事を読んで、私はロッキード事件が本当の終焉を迎えたのだと実感した。

 

 

 

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