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いじめ防止に道徳教育?

 安倍政権の教育再生実行会議(座長:鎌田薫・早大総長)がいじめ防止を図る新法作りに向けて提言する予定だが、その原案が固まった。

 最初に掲げられているのが「道徳を踏まえた新たな枠組みを教科化」。

 案の定と言おうか、余りに露骨なやり口と言わざるを得ない。いじめ防止にかこつけて「道徳教育の強化」を目論むのは、本質のすり替えだ。いじめの根源にあるのは何かを考えずして防止策を練っても根本的な問題の解決はありえない。

 いじめの本質は、懐古趣味の大人が好む道徳を学校できちんと教えないことにあるのではない。「異質なものを排除する」「弱者にストレス発散のはけ口を求める」いびつな心が子供たち(大人社会も同様)を蝕んでいることにあるのだ。

 このような姑息なやり方は、自ら命を絶って大人社会に抗議した子供たちを鎮魂するどころか、死者への冒涜と言っていい。

コメント
‘我々は何処から来たか。我々は何者であるか。我々は何処に行くか。’ を考えることは人生の役に立つ。
‘我々は何処に行くか。’の内容は、我々の努力目標であり、希望の源である。

‘世の中は、、、、’ の内容は、現在時制の内容であり、現実の内容である。
我々は、別の世界に移動することはない。さすれば、おなじみの天下泰平の世の中と言うことになる。

遠い過去の内容は過去時制の文章であり、遠い未来の内容は未来時制の文章である。これらは、非現実の内容である。
非現実の内容をこの世にて実現 (現実化) しようとする試みは恐ろしいことである。この行為は創造力の発揮にあたる。

日本語には時制がないので、非現実 (過去と未来) の内容は文章にならない。
文章にならないものは、辻褄を合わせることはできない。過去は幻となり、未来は夢となる。

もしも、非現実の内容を現実 (現在) 構文の載せて語れば、それはすなわち真っ赤なウソになる。
‘そんなことを言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’ と反論される。我々は、嘘吐きにはなりたくない。

夢・幻の (日本) 人の世は、いくら考えても辻褄の合わない雑念となっている。
雑念は、文章化に成功すれば信念になる。さすれば、自己主張も可能になる。

考えは必ず文章になる。文章にならないものは考えではない。
時制のある言語を習得し、非現実の内容に辻褄を合わせることができれば、日本人は雑念を信念に変えられる。
だから、英語で考える高等教育は我が国民にとって重要である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

  • noga
  • 2013/02/25 4:19 PM
管理者の承認待ちコメントです。
  • -
  • 2015/09/26 9:06 AM
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