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私の視点 戦争用語の乱用に苦言

 昨日起きた淡路島の強い地震を取り上げて、朝日のコラム「天声人語」は「常在戦場」の心構えをと説いているが、「公器」が、地震と戦争を同列に置くとは信じがたい。天声人語子(2人いる)には、御自分の書くものが入学試験に使われるなど、とてつもなく大きい影響力を持っている事を自覚して書かれよと注意させていただく。

 常在戦場とは、戦いに明け暮れた戦国時代の三河に生まれた、「常に戦場にいるつもりで事にあたれ!」と武士の気の緩みを戒める言葉だ。新潟長岡藩の藩訓で有名だが、元を辿ると三河で生まれた表現である。

 “武人”の心に響く表現なのだろう。連合艦隊司令長官の山本五十六をはじめとして様々な指導者が、この「常在戦場」を使って臣(部)下に影響を与えてきた。

 軍人がその表現を使うのは仕方のないこととしても、一般人、それも「社会の公器」と言われる報道機関が気軽にこういった表現を使う事を私は善しとしない。

 天声人語子ならずとも地震と戦争を同列視する報道関係者は多い。だが、その両方を良く知る私の眼には「ふたつは似て非なるもの」。災害現場を見て「まるで爆撃直後の戦場の様だ」と言うことはあっても、ふたつを同列に置くことはない。天声人語子はその辺りを意識してこの言葉を使ったのだろうか。もしそうだとしたらとても意図的で悪質だ。
 
 まあ、あくまでも想像だが、天声人語の執筆者にそのような意図は無く、ギョーカイで「戒めの言葉」としてフツーに使われているからそのまま何も考えずに使ったのではないか。

 とかくギョーカイ人間は、安易にスポーツや選挙なども戦争に例えるが、その心の奥に潜むのは戦争ゴッコの好きなオトコ目線ではないか。そういう趣味全てを否定するものではないが、責任ある社会人がそんな児戯に心を奪われて社会活動するのは大問題だ。

 その視点で報道を見ると、「戦争用語」満載だ。

 野球の記事だと「『〇〇軍』の『総大将』である××監督が、先日の『関が原の戦い』と呼ばれた『△△決戦』の『敗戦』を分析、『戦犯』を『粛清』する見通し」てな感じの書き方だ。

 選挙でも「〇〇氏が『出馬』、メディアを巻き込んでの『情報戦』に持ち込む『戦略』。『××陣営』は警戒を強めて『紙爆弾』を使って『応戦』、『選挙戦』はいよいよ『関ヶ原の合戦』の様相を呈してきた」と書かれる。

 私の書き方に誇張はあるものの、報道が過熱すると上記の様な表現が紙面(画面)に溢れる。当然のことながら、それを受け取る我々の会話の中にもそれは反映される。
  
 勿論、地域の人や個人が「常在戦場」を使うのは自由だ。しかし、平和を標榜するマスコミが平和な世に使う表現としては相応しくないと私は考える。

 こういった主張に「言葉狩り」と指摘する人が出てくるかも知れぬが、これはいわゆる言葉狩りとは根本的に違う。世間で広く言われる言葉狩りは、社会的弱者を傷つける恐れが強い行為である。それに対して、今回の指摘は、世の中に特定の用語を浸透させる行為への警鐘だ。

 大袈裟と言うならそう言えば良い。私は、この世の中に存在する「危険な芽」を少しでも減らして次の世代にバトンタッチするのが自分達の役目だと理解している。その為には寝食を惜しんでまでとは言わないまでも、全力を尽くしていく所存だ。

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