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ボストンマラソン爆弾事件報道を考える

 卑劣な爆弾テロで、楽しいはずのマラソン大会が血塗られた。ボール・ベアリングを使った爆弾というから爆発物の中にパチンコ玉のようなものが仕組まれていたのだろうか。憎んでも憎みきれない卑劣な犯行だ。

 事件の残忍さを充分に把握した上で、私はその報道の仕方に異論を呈したい。報道現場の人たちに「君達は間違っていないか!」と声を上げる。

 それは、各報道機関はボストンの爆発事件に大騒ぎするが、同じ日にイラク各地で爆弾テロにより多くの命が奪われた事を、また14日に、ソマリアで戦闘と爆弾テロで50人近い命が奪われている事をまともに扱わないからだ。明らかに開発途上国を軽んじている。ボストンの事件よりも死者の数は桁違いに多いのにそちらは無視か囲み記事だ。

 「人命の重さ」に軽重はないはずだ。どの事件も同じレヴェルで扱えとは言わない。だが、余りに差をつけ過ぎていないか。

 報道関係者の言うセリフは分かっている。「ボストンマラソン会場と戦闘が日常化しているイラクやソマリアではインパクトが違います。視聴者は食いつきません。数字が取れないです」。

 視聴者は、読者は、そういう商業ジャーナリズムの「報道」に値しない姿勢に見切りを付け始めている。だから、TVを観ない、新聞を読まないという人が私の周りでも増え続けるのだ。

 2年前の原発事故直後、報道現場で飲み屋で、記者諸君はあちこちで反省会をやったと聞いている。そしてそれまでの「原発は数字が取れない」「反原発を取り上げたら編成(番組作りの実権を握っている)や営業(広告)が嫌がる」からと原発の「影」を扱うのを控えていた自分達を反省したのではないのか。

 報道に面白みは要らない。例え視聴率が悪くても構わない。必要なのは、誰でもが信頼して情報を収集することができ、報道現場で働くスタッフの働きに尊敬の念を抱く事ができる「真正報道」だ。

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