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憲法論議を考える

 皆さんの周りにいる「団塊の世代(1947年からの3年間)」に注目していただきたい。

 え?理屈っぽくてウルサ型が多いって?しかも、やけに考え方を押し付けてくる…いや、そういう話ではなく、名前に「憲」の字が付いた人が多いことに気付かれるはずだ。

 それは、1947年に憲法が施行され、それに喜んだ父母や祖父母の多くが、新しい生命の平穏無事な人生に願掛けをして「憲一」「憲子」等の名を考えたからだ。

 戦争で辛酸をなめた大人たちは、その頃生まれた私達に平和憲法の大切さを事ある毎に力説したものだ。

 私は、前にも書いたが、職業軍人の父が若くして他界した。その寂しさを癒したかったのだろう。また“父の姿”を追い求めていたのかもしれない。周囲の大人達に、生前の父の話を聞くのが楽しみだった。

 まだ小学校に入る前だから、5,6歳だったと思う。

 
 戦地から戻り、戦時体験やシベリア抑留生活の辛さを、どこからか手に入れてきた酒(どぶろく?)を飲みながら、男衆は武勇伝や“女郎(慰安婦)買い”の話に花を咲かせた。

 しかし、ひと通りそういう話をし終えると、「でも、イイ世の中になったもんだのん。平和憲法がありゃあ、二度と戦争をするこたないだら」と口々に語った。

 幼い私に、「ヘイワケンポウ」なるものがどのようなものか理解できるはずはなかったが、大人達の本当に嬉しそうな表情から、「余程いいもの」との印象が強く心に残った。

 しかし、時が流れ、敗戦から67年が経つと、世の中からその時の感激は薄れ、改憲が声高に語らるようになった。一方、そうさせてはならじと、護憲派も大声を張り上げる。

  だがその憲法論議を聞いていると、本質を外している、的を射ていないように思えてならない。

 失礼を承知で書くが、憲法論議に加わる皆さん、「憲法と法律の違い」は分かりますか?「憲法改正権は誰にあるか」御存知ですか?

 憲法は「国家権力を規律する」ためにあるもの、法律は「国民を規律する」ためにあるのだ。
 
 だから、憲法は政治家のものではない。国民のものだ。国の骨格であり、国民が、政治や行政が正常に執り行われるよう監視するために作られたものなのだ。

 当然の事だが、もし憲法を変えるとしたら、国民が改憲の必要性を感じて、政治家達に「案を作れ」というのが筋なのだ。政治家が「今の憲法は矛盾だらけでけしからん。改憲するべきだ」と旗を振ることは、違憲の可能性があると見る法律専門家もいるくらいである。
 
 政治家の重要な役割のひとつは、法律を作ること。だから、立法府の議員を英語で「法律を作る人」と表現する。でも、憲法を変えることは役割には入っていない。

 国民の多くが「憲法を変えるべきだ」となった時初めて、それを受けて政治家は「国民投票」実施のための発議をして国会両院に諮って手続きに入ればいいのだ。

 まさしく、本末転倒と言っていい。この変な論議の責任の一端は、言論機関であるマスコミにもある。

  こうなれば、私達が賢くなるしかない。

 憲法記念日の今日、家庭で、職場で憲法を勉強して、考えて、そして語ってみましょう!

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  • 2013/05/05 10:53 PM
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