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AUTHOR: asaikuniomi_graffiti

TITLE: 映画監督、今泉光司さん
DATE: 05/04/2008 09:26:45
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 昨日は、直子が親しくさせていただいている映画監督、今泉光司さんの家に招いていただいた。



 今泉さんは、死の棘などの作品で知られる小栗康平氏に付いて監督への道を歩んだ。フィリピンに長年住み、フィリピン山岳地帯の日系人家族の物語、『アボン 小さい家』を作り、話題を呼んだ。



 雨の中、私たち2人を上野駅に車で迎えに来てくれた今泉さんはまず、彼の生まれ育った地元浅草を案内してくれた。



 首都圏に住みながら、また東京を仕事の場に長年していながら、行っていない、知らないところは意外に多い。浅草も知っているようで、ほとんど知らないことに気付かされた。いや、案内してもらうと、本当に味わい深い、人間臭さであふれる街だ。



 什器備品の「合羽橋」は知っていたが、仏壇街があることは知らなかった。



 男の欲望が満たされる(と言っても、刹那的だが)吉原にあんなに多くのソープランドがあることも知らなかった。



 ソープランドと言えば、かつてその名称はトルコと言われていたが、「トルコ人留学生が、名称変更に一役買ったんですよ」と説明された。



 ハハ、これは懐かしい話だ。私は鼻をぴくぴくさせた。



 いや、吉原での快楽に溺れた記憶に興奮したわけではない。懐かしい話を聞いたからである。実は、この話にはさらに裏があり、AP通信記者であった私が、それより7,8年前、問題提起をしていたのだ。



 在日トルコ大使館から「トルコ大使館というトルコ風呂があり、間違えてこちらに電話がよくかかってきて迷惑している。この問題を取り上げてくれないか」と電話がかかってきたのだ。



 それを受けた私は、短い記事であったがAP電として世界に配信したのだ。国内外から様々な反応があり、外務省であったか、どの官庁であったか忘れたが、業界に考慮を促すよう要請した。



 ただ、トルコ風呂として定着してしまった名前を変えるには、業界も一筋縄ではいかない。中々名称変更に踏み切れなかった。そこへ、留学生が反対運動を起こし、日本のマスコミに訴えた。



 もはや名称を維持するメリットなしと見たのだろう。あっさりと、ソープランドと改められた。もちろん、中で行なわれていることは、旧態依然とした売春である。ところが、そこには、何のお咎めもなく、名称変更はすんなりと社会的に受け入れられた。



 漫画「あしたのジョー」の舞台となった泪橋周辺にも案内していただいた。漫画では、泪橋の下に丹下段平というジョーのトレイナーがジムを構えていたという設定だ。



 しかし、あたりはコンクリートで覆われ、その面影もない。ただ、交差点やバス停にその名前を残すだけだ。



 泪橋は、思川(おもいがわ)に架かっていた。名前の由来は、南千住にあった刑場(死刑場)に行く道にかかる橋だからという。



 思川だの泪橋。なんとも情緒ある地名だ。その地名を聞くだけでも、その土地に立つ意味がある。



 そこから山谷に向かう。



 私の子供の頃。新聞は、山谷(ドヤ街と言われた)に棲む労務者(これも死語だが、定職を持たぬ日雇い労働者のこと)が暴れ、公的な場所が襲撃されていると頻繁に報じていた。特に、警察署が攻撃の対象であり、「マンモス交番」という言葉は、今でも記憶に深い。



 だが、実態はと言えば、手配師と言われるヤクザがらみの男たちのひどい搾取に怒った労働者たちが、きちんと金を払えと言っていただけの場合が多かったそうだ。また、労務者たちは、手配師と警察がぐるになっていると見られていたようだ。



 そんな山谷や南千住もかつての面影はない。約40年前、上京したばかりの浅井少年が恐る恐る見学したドヤの姿はまるでなかった。目に入ってきたのは、労務者ではなく外国人やフリーターたちに愛用されるようになった簡易宿泊所であり、きれいにコンクリートで市街化された町並みであった。



 墨田川沿いに車が走る。川向こうに、東白髭団地が見えた。川沿いに建ち並ぶこの団地は、実は全体が防火壁になっている。広域火災が懸念される事態には、屋上から滝のように水が流れ、水壁を作る構造になっている。関東大震災を教訓に、延焼防止策として建てられた建物群だ。



 約1時間のドライブを終えて、自宅に招き入れられた私たちの前には、昨夜から準備をされていたという、今泉さん手づくりの昼食が食卓に並べられた。



 さすが8年近く住んでいただけのことはある。彼の作ったフィリピン料理は絶品だ。それに、和食や、もちろん酒も加えられ、我々の胃袋は楽しい会話と共に十二分に満たされた。



 楽しい会話は、今泉さんの「映画監督に至るまでの道程」が中心であった。浅草という下町に育ち、中学校の時から映画監督になる道を、もちろん様々な“寄り道”をしながらも着実に上り詰めていった話を聞くのは楽しい。すっかり、聞き入ってしまった。



 私は酒は飲めないから「飲み役」は直子に任せているが、勧められた酒にも手伝われたのだろう。直子も今泉節に酔った。



 今泉さんのもてなしの一つひとつが、心に染み入った。私の「人名録」に新たな名前が付け加えられた日となった。

 



 
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