先輩の訃報

  共同通信の論説委員長を務めたこともある榎彰さんが7日、79年の生涯を閉じた。

 榎さんと私との出会いは、1976年暮れに遡る。
 

 レバノン内戦を取材している私の前に、榎さんは前任者と共に現れた。当時まだ共同通信はベイルートに支局を設けていて、激戦が続く間、前任者は支局を閉鎖、国外に避難していた。

 停戦が成立し、日本のマスコミ数社が特派員を送り込んできた。その前の数ヶ月間を、私が日本人ジャーナリストとしては唯一現地滞在し、取材をしてきただけに、各特派員は私の情報を頼りにしてくれた。

 中には、「停戦と言っても一時的なものに終わるのではないか」とする私の見方に、ベイルート支局をたたんだ社もあった。その後、御存知のようにレバノン内戦は数百回の「停戦−停戦破棄」を繰り返し、激戦は90年まで続いた。

 榎さんはそれまで政治畑で記者稼業を続けてきた方で、「人事の都合でここに来させられてしまった。だから英語はまるでダメ」と自嘲気味に話されていたが、自力で英語力をめきめき上達させた。

 彼の取材手法は、通信社記者にしては慎重で、軽々にネタに飛びつくのではなく、じっくりと粘り強く取材してそれを記事にするもの。その取材の手法と記事の書き方を勉強させていただいた。

 その典型例が、日本赤軍との関係だった。

 ある時「浅井君は足立政男と会ってみる?取材をしないという条件付きだけど」と、当時ベイルートを拠点にしていた赤軍の広報役であった足立氏との面会を提案された。

 榎氏はそれまで足立氏と何度も会っていたが、一度も記事にした事は無い。驚きの表情を見せると、ニヤッと笑い「これが政治記者の真骨頂だよ」と口にはしないものの、そんな心の内をその笑みに込めて見せて来た。

 一度会ったきりで大袈裟に書きたてたり、番組作りをした特派員(社会部出身)が数名いたが、榎さんはそんな彼らとは一線を画していた。

 停戦が何度も崩れ、政情が安定しない事もあり、75年の内戦勃発の前まで事務所を開設していた企業のほとんどは、再び事務所を開くことなく、この町から姿を消した。だから、戦前には千人以上であった「日本人村」は、70年代後半になっても20名に満たない小規模なものであった。ただ、それだけに結束力は強かった。
 

 だが、正直なところ、その結束力は私の目には健全なものには見えなかった。危ういとさえ言えた。一部の人に失礼を承知で若造の率直な意見を述べさせていただいたこともある。

 78年か79年だったか記憶は定かではないが、日本に戻っていた私のもとにベイルートから信じ難いニュースが飛び込んできた。西ベイルートにある「レストラン・トーキョー」で日本大使館員が銃をもてあそぶ内、同僚の妻を撃ち殺してしまったというものだった。さらに、犠牲者の頭を貫通した弾が同席していた榎さんの頭部を襲い、重傷を負わせたという。

 報道では、大使公邸での集まりの後、その流れで大使館員や特派員・駐在員、それにその家族が事件現場に行ったとのこと。

 私は早速、レストランの経営者に電話を入れて詳細を聞いた。加害者の館員は酒酔い状態で、レストランのマネジャー(アルメニア人)の護身用のピストルをデスクから取り出し、「誰を撃とうかな」と言いながら、銃口を同僚の妻に向け、そのまま引き金を引いたという。

 一部報道機関からコメントを求められたが、関与した全ての人をよく知る立場の私は、コメントする気にはなれず、一切断った。

 榎さんは一命を取り留めたものの言語障害を被り、長期にわたりリハビリに取り組んでおられた。帰国されてから数回お会いしたが、リハビリは相当大変な様子であった。それでも、奥様の尽力もあり、やがて社会復帰をされ、健筆を振るうようになられた。

 近年は連絡も疎かになっており、時折り消息を人伝に聞く程度であった。事件の影響があったのかどうかは分からぬが、共同関係者の話では、何度か倒れ、健康が優れないとのことであった。

 今朝の新聞で訃報を目にして今日一日、榎さんを偲んだ。優しい笑顔が何度も瞼に浮かんだ。

 大変な人生を送られた榎さん、お疲れ様でした。安らかにお眠りください。

 

メディアリテラシー・ワークショップ開催のお知らせ

第1回ブリッジ・フォー・ピース(BFP)メディアリテラシー・ワークショップ


 東日本大震災以降、マスメディアに対する不信感が一部で広まっていますが、その不信感も確証があるわけではなく、当て推量によるものも多く含まれています。先ずは、「新聞記者の素顔」を垣間見ることでマスコミの実態を探り知り、そこからマスコミとの距離を測る作業をしてみませんか?

 ワークショップの進行促進役であるファシリテーターを務めるのは、元新聞記者で、英国でジャーナリズムを研究した経験がある益田美樹さん。益田さんは、BFPの取材チーム・マネジャーも務めています。

 マスメディアの事情(内情、そして裏事情)を知る貴重な機会になるかと思われます。ワークショップですから、参加者同士の情報・意見共有の時間も設けています。メディアに興味のある友人・知人にもお声掛けください。

 今回は、日本メディアに焦点を当てた内容になりますが、外国メディアと日本メディア
を比較したワークショップも今後開催したいと思います。


BFP「メディアリテラシー・ワークショップ」
 
ファシリテーター:益田美樹
 
場所:JICAちきゅうひろば セミナー・ルーム202B
   東京都新宿区市谷本村町10-5

最寄り駅:JR中央線・総武線 「市ヶ谷」 徒歩10分
      東京メトロ有楽町線・南北線、都営地下鉄新宿線 「市ヶ谷」 徒歩8分

日時:5月18日18時30分〜(約2時間)
 
参加費:1,000円(但し会員は500円)

申し込み方法:こちらからお申し込みください。http://bridgeforpeace.jp/workshop/workshoprequest/
 


 


憲法論議を考える

 皆さんの周りにいる「団塊の世代(1947年からの3年間)」に注目していただきたい。

 え?理屈っぽくてウルサ型が多いって?しかも、やけに考え方を押し付けてくる…いや、そういう話ではなく、名前に「憲」の字が付いた人が多いことに気付かれるはずだ。

 それは、1947年に憲法が施行され、それに喜んだ父母や祖父母の多くが、新しい生命の平穏無事な人生に願掛けをして「憲一」「憲子」等の名を考えたからだ。

 戦争で辛酸をなめた大人たちは、その頃生まれた私達に平和憲法の大切さを事ある毎に力説したものだ。

 私は、前にも書いたが、職業軍人の父が若くして他界した。その寂しさを癒したかったのだろう。また“父の姿”を追い求めていたのかもしれない。周囲の大人達に、生前の父の話を聞くのが楽しみだった。

 まだ小学校に入る前だから、5,6歳だったと思う。

 
 戦地から戻り、戦時体験やシベリア抑留生活の辛さを、どこからか手に入れてきた酒(どぶろく?)を飲みながら、男衆は武勇伝や“女郎(慰安婦)買い”の話に花を咲かせた。

 しかし、ひと通りそういう話をし終えると、「でも、イイ世の中になったもんだのん。平和憲法がありゃあ、二度と戦争をするこたないだら」と口々に語った。

 幼い私に、「ヘイワケンポウ」なるものがどのようなものか理解できるはずはなかったが、大人達の本当に嬉しそうな表情から、「余程いいもの」との印象が強く心に残った。

 しかし、時が流れ、敗戦から67年が経つと、世の中からその時の感激は薄れ、改憲が声高に語らるようになった。一方、そうさせてはならじと、護憲派も大声を張り上げる。

  だがその憲法論議を聞いていると、本質を外している、的を射ていないように思えてならない。

 失礼を承知で書くが、憲法論議に加わる皆さん、「憲法と法律の違い」は分かりますか?「憲法改正権は誰にあるか」御存知ですか?

 憲法は「国家権力を規律する」ためにあるもの、法律は「国民を規律する」ためにあるのだ。
 
 だから、憲法は政治家のものではない。国民のものだ。国の骨格であり、国民が、政治や行政が正常に執り行われるよう監視するために作られたものなのだ。

 当然の事だが、もし憲法を変えるとしたら、国民が改憲の必要性を感じて、政治家達に「案を作れ」というのが筋なのだ。政治家が「今の憲法は矛盾だらけでけしからん。改憲するべきだ」と旗を振ることは、違憲の可能性があると見る法律専門家もいるくらいである。
 
 政治家の重要な役割のひとつは、法律を作ること。だから、立法府の議員を英語で「法律を作る人」と表現する。でも、憲法を変えることは役割には入っていない。

 国民の多くが「憲法を変えるべきだ」となった時初めて、それを受けて政治家は「国民投票」実施のための発議をして国会両院に諮って手続きに入ればいいのだ。

 まさしく、本末転倒と言っていい。この変な論議の責任の一端は、言論機関であるマスコミにもある。

  こうなれば、私達が賢くなるしかない。

 憲法記念日の今日、家庭で、職場で憲法を勉強して、考えて、そして語ってみましょう!

安倍総理の強気発言と靖国問題の本質

 TVのニュースで、安倍晋三首相が24日の参院予算委員会で中国や韓国が麻生副総理の靖国神社参拝に反発していることについて「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅しにも屈しない。その自由を確保している」と述べた。野党からの批判に対しても「(海外からの)批判に痛痒(つうよう)を感じず、おかしいと思わないほうがおかしい」と反論していた。

 安倍氏は総理の座に復帰して間が無いのに早くも馬脚を現したようだ。

 総理になってからの安倍氏は、野党の追及やマスコミの取材に対して余裕の表情で対応している感があり、「もしや政権の座から降りざるを得なかった悔しさが彼を成長させたか」と言う永田町スズメもいたほどだ。

 だが、今日の答弁では「元の安倍晋三」に戻ってしまった感がある。野党議員のそれほど鋭くも無い追求に感情的になり、一国の首相とは思えぬ感情を露にした答弁をした。

 こうなると勘繰りを入れたくなるのが、我々ジャーナリストだ。この日、来日中のバーンズ米国務副長官が突如首相官邸に来て加藤官房副長官と会っている。話の内容は、閣僚の靖国参拝について日本政府の考え方を質したということだが、オバーマ大統領からのメッセジが相当きつかった可能性がある。

 または、午前中に皇居に行って叙勲の内奏(天皇への報告・説明)をしており、気持ちの高ぶりがあったのかもしれない。

 そんな安倍首相の心の動きは別にして、皆さんには「靖国問題の本質」を知っておいていただきたい。これまで何度も書いてきたが、この議論にはいくつかの「見えにくい本質」があるからだ。

  靖国」論議を聞いていると、政府見解のぶれ、大物政治家たちの放言と“靖国パフォーマンス”、A級戦犯合祀の隠された事実、昭和天皇と東条英機の関係といったこの問題の本質というべきことがほとんど語られていないことに気付く。


  政府見解については、三木政権下で「公式参拝は違憲の恐れあり」と決定的な謝罪を表明したかと思うと、頃合いを見計ったかのように8月15日に公式参拝を始めたり、「神の国」発言で被害国の神経を逆撫でする首相が現れた。このように「謝罪」と「不穏当発言」を繰り返す事が問題であるはずなのだが、いつの間にか「中国や韓国は何回謝れば気が済むのか」との国内世論ができつつあるのが現状だ。


  A級戦犯合祀についても、1978(昭和53)年に神社内に緘口令を敷く形までとって靖国神社が強行したこと自体大きな問題であるはずなのに、マスコミや専門家からは大きな疑問として上がってこない。昭和天皇と東条英機との関係にいたっては、歳月の経つのは恐ろしいものだ。あれほど敗戦直後には天皇が東条を忌み嫌っていたのに、後に東条を評価するような発言をした(天皇の立場からすれば、“下衆”をなじれば、同じ土俵に立ったことになる)ことから両者が互いの立場をかばい合っていたとする発言もみられる。


  私は以前、文献や資料を読み漁るうち、「靖国神社正式参拝関係年表」から重大な発見をした。敗戦直後から毎年ではないものの数年置きに靖国神社を参拝(正式には「御親拝」という)していた昭和天皇が、A級戦犯合祀が行なわれる1978年の3年前に参拝して以来、靖国に踏み入れていないのだ。


  そこから色々調べてみると、靖国への合祀には天皇への「上奏(天皇への事情説明)」が必要なのに、靖国側はその手順を取っておらず、合祀を巡って天皇と靖国の間に確執があった事が浮かび上がってきた。


  まず、靖国神社の合祀の手続きについてだが、

 1.厚生省(現厚生労働省)引揚援護局が回付した戦没者カードによって合祀者と合祀基準(靖国神社作成)とを照合、「祭神名票」を靖国に送る。

 2.靖国神社は「霊璽簿」に氏名を記入、遺族にその旨を通知する。

 3.例大祭(年2回)の前夜に合祀の儀式を行なう。

  という順序で行なわれる。


  ところが、A級戦犯に関しては、2番の途中で行なうはずの天皇への上奏が行なわれなかったのだ。そして、14人のA級戦犯が秘密裡に合祀された。


  つまり、「天皇の神社」として明治時代に作られ、敗戦によってその形態は変わったにせよ今もなお「天皇制」を精神的支柱としている靖国神社が、天皇を裏切ってA級戦犯を合祀したのだ。


  恐らく靖国側とすれば、昭和天皇の「東条嫌い」を知っていただけに、上奏すれば反対されると踏んだのだろう。だが、これは右翼や民族主義者にとっては聞き捨てならない話のはずだ。別にけしかけるわけではないが、右翼がなぜこのことを荒立てなかったか未だに不思議だ。


  そして、東条本人についても、その立場についての一般的な理解が怪しくなっている。東条英機が開戦時の首相であったというだけでヒトラーとは違うという擁護も聞かれるが、東条は「陸軍生まれの陸軍育ち」の生粋の軍人で、軍部を開戦に突き進ませた中心人物だ。

 最近では「開戦直前まで非主流派で不遇をかこっていた」などとまるで東条が昭和10年代は軍部の中心人物ではなく、首相にも仕方なくなったかのように言う論調が目立つが、東条こそが1936(昭和11)年の「2.26事件」に代表される皇道派(天皇親政派)を抑えて陸軍内部の主導権を握った統制派の中心人物であったことは疑いようもない事実だ。開戦直前の1941年10月に近衛内閣を崩壊させ、事実上のクーデターを起こしたのも誰あろう東条英機だ。これを「ただの開戦時の首相」などと言う人には、今一度歴史を紐解かれよと言いたい。


  他の議論の多い問題でもそうだが、このようにして論議がいつの間にか核心からそらされていき、事の本質が人の記憶から消し去られていく。靖国問題はまさにその典型である。
 

 安倍政権幹部の勇ましい発言がどのような影響を隣国との関係にもたらすのか。私たちは冷静に考えていかなければならない。そして、どんな形にせよ、自分達に合った形の意見表明を市井一人ひとりが粘り強くしていくことをお願いしたい。

 


朝日世論調査

  「インターネット選挙」が話題だ。これまで「法律を作る側」の無理解から日本の選挙制度へのインターネットの導入はことごとく退けられてきた。選挙期間中にHPの更新も禁止されていたのだから酷い状態であった。まだまだ他国に比べると見劣るが、こんな法律でもないよりましだ。まあ、一歩前進と消極的な評価をしよう。

 さて、そのインターネットの使用解禁が選挙結果にどう反映されるかがみものだが、報道からは見えてこない。まあ報道自体、一部メディアがやっとこさ記者達のtwitterを認めたりしたばかり。頭の固い幹部達にはSNSなるものがどんな影響をもたらすか、頭で分かっていても、その功罪は全く見えていないのではないか。話をしても、本音を言うと、意味不明で相当扱いづらいもののようだ。同世代の私がSNSの醍醐味を熱く語るのを「動物園の珍獣」を見る目だながめる。

 そんな中、朝日新聞が「ネットと選挙」の関係を探る世論調査を行った。ここのところ、メディアが行う世論調査の評判が芳しくない。その不信感は、マスコミの信用問題にまで発展している。

 それは、各社が多用するRDD方式の世論調査に大きな欠陥があり、民意が反映されていないと読者や視聴者が気付いたからだ。RDD方式は簡易で安価にできる世論調査として、ここ10年の間に主流となった。だが、固定電話を利用したもので、若い世代が固定電話を持たない事、電話取材を受けるのが家族の高齢者である事から「若者の考えが反映されていない」と、マスコミへの不信感が高まっている。いくらか改善が試みられたが、「若い世代」の意見が反映されていないことに変わりはない。

それも、問題の多いRDD方式ではなく、「面接方式」だという。

 

この調査に期待した。読み進む内に、疑問が湧いてきた。昨年の衆院選で参考にしたのは?との問いに「新聞記事(43%)」「TV報道(45%)」と答えている。他にも、「新聞広告」が7%、「TVの政見放送」が32%、「ワイドショー」10%とある。複数回答が許されているにしても実態とは明らかに違う。

若い世代に聞いたのか?私は朝日東京本社の世論調査部に電話で訊ねた。世代別の回答者の割合を聞いて合点がいった。20代7%、30代13%、40代15%、50代19%、60代22%、70代25%。人口の15.8%の70代が回答者の25%を占め、12.4%の20代は7%だ。

32.4%の人口を占める6、70代が回答の47%を占めている。これでは正確な世論は掴めない。私はその矛盾点をどう補ったのかを聞いた。すると対応した部員は「若者はつかまらない」と言い出した。そして、「あなたはどなたですか?」とこちらの素性を聞いてきた。名前は既に相手に伝えていた。

相手は自分の名を私に名乗ったわけでもない。随分横柄だなと思ったが自己紹介すると「卑怯です。取材なら広報を通して下さい」と言った。「卑怯」と言われたら引き下がるわけには行かない。そういう傲慢さが読者に嫌われるのだ。すると、「じゃあ、謝ります」。記者諸君、読者目線を忘れる事なかれ!


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