ボストン爆破事件のガセネタからSNSを考える

 ある人のtwitterで「ほっしゃん」という芸人をフォロー(購読)しているのを知った。

 ほっしゃんがどんなことを書いているかと彼のtweetを読んでみると、ボストン・マラソン爆破事件で心を打たれるロマンティックな事があったと、@MitchellOffcialというアカウントにある写真とエピソードを紹介していた。

 写真には「彼の彼女はマラソンで走ってて、彼はそれを待ってたんだって。プロポーズをするために…後略」という説明が付けられ、男性が爆死した恋人に寄り添っているかの印象を受けた。

 だが、あまりにできすぎた話だ。こういう心打たれる話は瞬時にしてネット上に広まる。早速、その写真の背景を調べてみることにした。

 先ず気付かされたのは、日本のマスコミは死者3名と伝えるものの、犠牲者については8歳の男の子を伝えるのみ。私が見落としている事が考えられるから100%とは言い切れないが、一覧しただけでは見つからなかった。マスコミも、この事件には多くの紙面(時間)を割いているのだから報道の中で少しでも紹介しておけば、「心打たれる話」が事実無根と分かるヒントとなったはず。

 それではと、米報道でチェックすると、命を奪われたのは、少年の他には29歳の女性、それに男性の大学院生と分かった。

 写真に該当するとすれば、29歳の女性だが、命を落とした彼女は友達のボーイフレンドが出場するので一緒に応援に来た、いわば見物人。競技には出場していなかった。

 そこで、ほっしゃんのつぶやきの情報源の「Mitch」さんに、写真と情報をどこから入手したか、英和文両方(プロフィールに在日外国人と書かれていた)で問い合わせた。だが、彼からはなしのつぶて。

 独自に調査を続けると、件の写真を撮った「Boston Globe」紙のカメラマンのインタヴューを見つけた。しかしその写真記者は「彼女は明らかに重傷でした。彼は彼女の耳元で囁いて慰めていた」と答えているだけで、ふたりの関係については何ら記述は無い。

 私のtwitte上での情報提供の呼びかけに読者のひとりが下に紹介するサイトを送ってきてくれた。

 これを見て確信した。案の定、いわゆる「ガセネタ」だった。

http://edition.cnn.com/2013/04/16/tech/social-media/social-media-boston-fakes/?c=&page=0

 そんなに難しい英語ではないので書かれていることはお分かりになるであろう。これがまさしく、私が普段から言う「ネット情報の鵜呑みは危険」という典型的な例だ。

 ネットの恐いのは、自分ひとりが鵜呑みにして悔しい思いをするだけでなく、その情報をフォロワーに流せば、それが「野火」のように広がってしまうことだ。

 自分がガセネタの拡散に加わらないようにするにはどうしたら良いか。それは、情報源をネットに限定しないで、複数の媒体にすることだ。そして、情報を見比べる癖を付けていただきたい。さらに、もしガセネタの拡散に加わってしまったと気付いたら即刻、見て見ぬふりをせず、勇気を持って「訂正と謝罪」tweetを流していただきたい。

 間もなく、選挙活動にtwitterやブログの使用が解禁される。「安心して信頼できる環境づくり」は、SNSという利器を手にした私達の手にあると言っていい。しかし、何事も裏表がある。利器も使い方を間違えれば、凶器になるのだ。少しでも「安全」で「信頼」に足る、そして社会生活を豊かにしてくれる使い方を、利用者が知恵を出しあって作り上げていかなければならない。一枚の写真を調べる中で、そんな感を強くした。


ボストンマラソン爆弾事件報道を考える

 卑劣な爆弾テロで、楽しいはずのマラソン大会が血塗られた。ボール・ベアリングを使った爆弾というから爆発物の中にパチンコ玉のようなものが仕組まれていたのだろうか。憎んでも憎みきれない卑劣な犯行だ。

 事件の残忍さを充分に把握した上で、私はその報道の仕方に異論を呈したい。報道現場の人たちに「君達は間違っていないか!」と声を上げる。

 それは、各報道機関はボストンの爆発事件に大騒ぎするが、同じ日にイラク各地で爆弾テロにより多くの命が奪われた事を、また14日に、ソマリアで戦闘と爆弾テロで50人近い命が奪われている事をまともに扱わないからだ。明らかに開発途上国を軽んじている。ボストンの事件よりも死者の数は桁違いに多いのにそちらは無視か囲み記事だ。

 「人命の重さ」に軽重はないはずだ。どの事件も同じレヴェルで扱えとは言わない。だが、余りに差をつけ過ぎていないか。

 報道関係者の言うセリフは分かっている。「ボストンマラソン会場と戦闘が日常化しているイラクやソマリアではインパクトが違います。視聴者は食いつきません。数字が取れないです」。

 視聴者は、読者は、そういう商業ジャーナリズムの「報道」に値しない姿勢に見切りを付け始めている。だから、TVを観ない、新聞を読まないという人が私の周りでも増え続けるのだ。

 2年前の原発事故直後、報道現場で飲み屋で、記者諸君はあちこちで反省会をやったと聞いている。そしてそれまでの「原発は数字が取れない」「反原発を取り上げたら編成(番組作りの実権を握っている)や営業(広告)が嫌がる」からと原発の「影」を扱うのを控えていた自分達を反省したのではないのか。

 報道に面白みは要らない。例え視聴率が悪くても構わない。必要なのは、誰でもが信頼して情報を収集することができ、報道現場で働くスタッフの働きに尊敬の念を抱く事ができる「真正報道」だ。

初来日した「ナパーム弾の少女」 その1

 1枚の写真は、時として何十冊、いや何百冊の本をも凌ぐ力を持って、見る者に迫ってくる。
 第二次世界大戦末期、長崎に落とされた原爆で命を落とした弟を背負い、火葬の順番を待つ少年の写真http://www.youtube.com/watch?v=lgC7js4cEGkは、何度見ても涙無くしては見られない。1960年、日比谷公会堂で右翼の少年の刃に斃れた浅沼稲次郎氏(当時の日本社会党委員長)の姿は、当時13歳だった私に強い衝撃を与えた。他にも、1993年の「サラエボのロミオとジュリエットhttp://en.wikipedia.org/wiki/Romeo_and_Juliet_in_Sarajevo この記事はデタラメ。なお、記事中の『日本人のフリーランスTVカメラマン』とは私のことです」と言われた「恋の逃避行」に失敗して狙撃手の銃弾に撃ち抜かれたアドミラとボシュコの場合など、挙げればきりがない。
 それだけに、「1枚の写真」が歴史を変えることもある。その代表的なものが、1972年に世界中を怒りで震わせた、「ナパーム弾(注1)の少女」だ。  解放戦線と北ヴェトナム政府の執拗な抵抗に手を焼いた米軍は、南ヴェトナム政府軍と共に無差別かつ残忍な攻撃を繰り返した。  ゲリラ戦に共通する情況だが、南ヴェトナムでも「ゲリラ」と「住民」の区別がつかなくなっていた。米軍は空から「絨毯爆撃(注2)」「枯葉作戦(注3)」を繰り返し、国土は焦土と化した。また、北ヴェトナムへの北爆も執拗に行われた。
 そんな中、旧サイゴン(現ホーチミン)市郊外の小さな村にナパーム弾攻撃が行われた。ナパーム弾がもたらした燃焼によって9歳の少女が全身を炎に包まれた。彼女は着ていた服を、周りにいた大人の手を借りながら脱ぎ捨て、裸になって助けを求めた。
 その姿がAP通信のカメラマン、ニック・ウットによってフィルムに刻まれた。その少女の名は、キム・フック。現場には他にも報道関係者が居合わせており、動画も撮られていた。
 だが、世の中を動かしたのは動画ではなく、「1枚の写真」だった。APによって「戦争の恐怖」と題され世界に配信された写真は、やがて当時高まっていた反戦の気運をさらに高め、米国への抗議の声は世界各地から上がり、やがて世界中に轟くようになった。
 3年後の4月、首都サイゴンに迫る解放戦線の影に怯えて米国人は先を競って脱出した。傀儡(かいらい)政権の要人達やその家族も多くが脱出を試みた。米大使館の屋上から飛び立つ米軍ヘリにすがる現地人。それを蹴落とす米兵。その模様はTVカメラにもとらえられ、凄まじい人間模様に世界中が固唾を呑んだ。
 避難民の中に件の写真を撮ったニックもいた。米国報道機関は、国外への逃亡を希望する現地スタッフに手を差し伸べたのだ。一方、日本のメディアは、見捨てたと言われる。
 キム・フックさんには国外逃亡の道は開かれていなかった。ただ、「抗米救国」のシンボルとして扱われたこともあり、国から手厚い医療を受けることが許された。計17回の移植手術を受けている。
 だが、そこには落とし穴があった。特別扱いは、見返りとして国への奉仕も求められたのだ。
 治療中に医師への憧れから医学の道を歩む決心をしたフックさんが医科大学に合格すると、国はメディア、特に外国報道機関に対する宣伝に彼女を利用し始めたのだ。  その後彼女が留学を希望すると許されたが、その先はキューバだった。窮屈な環境から陽気な土地柄に移れたものの、同じ共産主義国家であることに変わりはなかった。(つづく)

私の視点 戦争用語の乱用に苦言

 昨日起きた淡路島の強い地震を取り上げて、朝日のコラム「天声人語」は「常在戦場」の心構えをと説いているが、「公器」が、地震と戦争を同列に置くとは信じがたい。天声人語子(2人いる)には、御自分の書くものが入学試験に使われるなど、とてつもなく大きい影響力を持っている事を自覚して書かれよと注意させていただく。

 常在戦場とは、戦いに明け暮れた戦国時代の三河に生まれた、「常に戦場にいるつもりで事にあたれ!」と武士の気の緩みを戒める言葉だ。新潟長岡藩の藩訓で有名だが、元を辿ると三河で生まれた表現である。

 “武人”の心に響く表現なのだろう。連合艦隊司令長官の山本五十六をはじめとして様々な指導者が、この「常在戦場」を使って臣(部)下に影響を与えてきた。

 軍人がその表現を使うのは仕方のないこととしても、一般人、それも「社会の公器」と言われる報道機関が気軽にこういった表現を使う事を私は善しとしない。

 天声人語子ならずとも地震と戦争を同列視する報道関係者は多い。だが、その両方を良く知る私の眼には「ふたつは似て非なるもの」。災害現場を見て「まるで爆撃直後の戦場の様だ」と言うことはあっても、ふたつを同列に置くことはない。天声人語子はその辺りを意識してこの言葉を使ったのだろうか。もしそうだとしたらとても意図的で悪質だ。
 
 まあ、あくまでも想像だが、天声人語の執筆者にそのような意図は無く、ギョーカイで「戒めの言葉」としてフツーに使われているからそのまま何も考えずに使ったのではないか。

 とかくギョーカイ人間は、安易にスポーツや選挙なども戦争に例えるが、その心の奥に潜むのは戦争ゴッコの好きなオトコ目線ではないか。そういう趣味全てを否定するものではないが、責任ある社会人がそんな児戯に心を奪われて社会活動するのは大問題だ。

 その視点で報道を見ると、「戦争用語」満載だ。

 野球の記事だと「『〇〇軍』の『総大将』である××監督が、先日の『関が原の戦い』と呼ばれた『△△決戦』の『敗戦』を分析、『戦犯』を『粛清』する見通し」てな感じの書き方だ。

 選挙でも「〇〇氏が『出馬』、メディアを巻き込んでの『情報戦』に持ち込む『戦略』。『××陣営』は警戒を強めて『紙爆弾』を使って『応戦』、『選挙戦』はいよいよ『関ヶ原の合戦』の様相を呈してきた」と書かれる。

 私の書き方に誇張はあるものの、報道が過熱すると上記の様な表現が紙面(画面)に溢れる。当然のことながら、それを受け取る我々の会話の中にもそれは反映される。
  
 勿論、地域の人や個人が「常在戦場」を使うのは自由だ。しかし、平和を標榜するマスコミが平和な世に使う表現としては相応しくないと私は考える。

 こういった主張に「言葉狩り」と指摘する人が出てくるかも知れぬが、これはいわゆる言葉狩りとは根本的に違う。世間で広く言われる言葉狩りは、社会的弱者を傷つける恐れが強い行為である。それに対して、今回の指摘は、世の中に特定の用語を浸透させる行為への警鐘だ。

 大袈裟と言うならそう言えば良い。私は、この世の中に存在する「危険な芽」を少しでも減らして次の世代にバトンタッチするのが自分達の役目だと理解している。その為には寝食を惜しんでまでとは言わないまでも、全力を尽くしていく所存だ。

私の視点 北朝鮮問題をどう考える

 北朝鮮の恫喝にマスコミは大騒ぎしていが、皆さんどう思われるだろう?恐いのは確かだ。北朝鮮の言う事なんかに耳を貸すな!そうなる気持ちも分からぬではない。

 確かに、金正恩第一総書記は得体が知れない独裁者との印象が強い。映像で見る彼の強圧的な言動に嫌悪感を持つ方も多いに違いない。かく言う私も同じだ。

 だが、ここはひとつ、冷静に考えてみようではないか。テレビや新聞報道に流されず、冷静な視聴者や読者として考えてみていただきたい。

 マスコミは金総書記の心理や意図を様々に分析しているが、本当にそれがマスコミのやる事だろうか?読めるはずもない金総書記の心理を、専門家と称する人を使って分析しているが、それに何の意味があるのか私には分からない。また、北朝鮮の恫喝の背景に危機的な経済状況があると相も変らぬ怠慢な見方をしているが、それはマスコミや日本政府の情報不足を露呈しているようにしか思えない。

 だから「北朝鮮政権は狂信的!戦争をも辞さぬ覚悟を!」と付和雷同していきり立つのではなく、北朝鮮も隣国のひとつ。何が彼(か)の国の政権をそうさせているのかを探るべきではないだろうか。

 本当はそれが報道の役目と私は考える。分かりもしない北朝鮮の真意を探る前に、決定的カードを持つ米中両国の取材網をもっと充実させておくべきだったのだ。そして両国の真意を探っておくべきであった。

 私が担当記者なら、あらゆる人脈を使って今日韓国入りするケリー米国務長官の鞄の中にあるカードの内容を探るだろう。

 ケリー氏の鞄の中には隠し玉が用意されているのではないかと私は見る。それがどのようなものなのか。私には知る由もないが、その中身を知りたいのだ。

 そして、ソウルの後で訪問する北京で、同氏が中国とどのような駆け引きを演じるのか大いに興味がある。

 北朝鮮問題は、「小さな国の狂った指導者がひとり芝居をする」という単純なものではない。この問題の裏では、米中、それにロシアが加わった大国による東アジアにおける覇権争いが演じられているのだ。

 過熱集中報道をすることによって、この問題を結果的に「北朝鮮」に閉じ込めて矮小化してしまったマスコミの責任は大きい。

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